6/21/2023

TAR/ター


 ドイツの世界的名門オーケストラの首席指揮者として成功し、富も名声も手にしたリディア・ター。出版されたばかりの自著のプロモーションや、客員として招かれた音楽院でのゼミレクチャー、マーラー交響曲集の最後の1枚となるアルバムレコーディングに向けての楽団との練習など分刻みの忙しさのなか、同性のパートナーと養女と暮す私生活では娘の学校への送り迎えや離れでの作曲活動など充実した日々を送っていた。だがゼミに参加した生徒とのやり取り、レコーディング曲の演奏に対する解釈の違いから生じた副団長更迭、その後任や収録曲のソリストの人選など小さなトラブルが続き、そこにかつて関係があったらしき教え子の自死がマスコミの知るところになったことから、順風満帆だったリディアのキャリアは一転する。

 不協和音の連続は元はと言えば順調すぎるほどの人生を歩んできた彼女の「慢心」のようなものにあったのかもという見方もできるかもしれない。任を解かれた彼女が実家に戻り、かつての師であるレナード・バーンスタインが音楽の、演奏することの楽しさを語る古いビデオを見て涙が止まらなくなるシーンからも純粋な音楽への愛や喜びから逸脱した様を嘆くようにも。でもそんな彼女に起きた出来事を「身から出た錆」的に捉えたくないように感じたのも本音。たしかにひとりの生徒の意見を他の生徒の前で完全否定するようなレクチャーは、多様な意見が重んじられる今の時代なら居心地悪く感じる人もいるのだろうけれど、あのシーンは単なるパワハラ、アカハラとは違うんじゃないかとも思える。だいたい持ち込みが禁じられているスマホでその模様を撮影し、都合のいいように編集した動画を仕返しみたいにネット空間に上げる側のモラルはどうなのかと考えてしまいがちな自分の頭が古いのか。とはいえリディアにしても楽団での地位を手に入れるために裏で何をしてきたか明らかに描かれる場面はないものの、不都合なメールを削除しろとアシスタントに指示したり、娘をいじめる相手の子供を脅したりと決して肝心無欠の清廉潔白な人ではないのだろうが。なんだかモヤッとしたものが残る。
 宣伝では驚愕のラスト!あなたはどうとる?!みたいな煽り方をしていたけど、それまでの生活にピリオドが打たれ、新天地でタクトを振るのがゲーム音楽だからといってそれこそアカデミックコンプレックスって気もするけども。

 しかし事前にあまり情報を入れていなかったので「リディア・ター」という人は実在の人物なのかと思っていたのだけれど、モデルはいるとかいないとかだけど全くのフィクションの人物と鑑賞後に知ってびっくり。ネットで見かけたサントラのアルバムもよく見たらケイト・ブランシェットそのままだったのにやられたなあという感じ。本編のバッハのピアノ曲やオケのマーラー演奏シーンも素晴らしいんだけれど(「ヴィスコンティの映画は忘れて」のセリフににんまり)、監督が彼女をイメージしながらキャラを作っていったとはいえケイト様の演技は神がかり的に素晴らしい。その万能ぶりに改めて脱帽。ドイツ映画ファンとしてはニーナ・ホスの重要な役どころも嬉しかったし、女性キャストが皆印象的。サスペンスシーンのはさみ方など長さを感じさせない作りも楽しめた作品だった。

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原題:TÁR  監督:トッド・フィールド  2022年製作
出演:ケイト・ブランシェット、ニーナ・ホス、ノエミ・メルラン、ソフィー・カウアー
@TOHOシネマズシャンテ 2023/6/20鑑賞


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