曾おじいちゃん夫婦、おじいちゃん夫婦、その息子夫婦と3人の子供たちという3世代がラクダやヤギたちと暮らすモンゴルの遊牧民の家では春のシーズンを迎えて毎日新しい命が誕生していました。ある日、最後までおなかの大きかったお母さんラクダが白い赤ちゃんを産み落とします。でもお母さんは初めてのお産が辛かったせいか赤ちゃんに乳をあげようとしません。お乳をもらおうとする赤ちゃんを蹴飛ばしたり威嚇するばかりか姿を見かけるとスタスタ逃げ出してしまうのです。一向に自分の子の世話をしようとしない母ラクダとお腹を空かせて鳴いてばかりいる赤ちゃんラクダをみるにみかねたおじいさんは最後の手段として母ラクダにある「治療」を試みることにします。それは馬頭琴の調べを聴かせることでした。
モンゴルのゴビ砂漠で生活を営むとある遊牧民の一家のドキュメンタリー。広い砂漠のパオで動物たちと共に暮らす人々。ほっぺを真っ赤にして泣きじゃくってる小さな女の子、まだ小さいのに家の仕事を手伝ってヤギの世話をしたり町にお遣いに出かける男の子たち、夜になるとランプの小さな灯火の側でカード遊びを楽しむおじいちゃんにおばあちゃん、そしておかあさんの子守歌…なんだかとっても懐かしい光景に落ち着きます。実際はここに登場してるようなまったりした生活の日々ばかりじゃないだろうけれど、それでも人が皆 自然の中で身の丈にあった生活をしていけたらいいな、というのは勝手な理想論なんでしょうね。
平原で暮らす彼らの生活の中にもラクダでちょっと走った距離には送電線が敷かれ、県庁のある町にはテレビやらパソコンまで売ってる店もある。作品の終わりには一家のボクちゃんの念願叶って家にテレビが届いたりするわけなんですが、彼らには今まで通りの生活をずっと続けていてほしいと願うのは傍観者の勝手な願望なのかも知れません。同じようなことをあちらはフィクションだけどニキータ・ミハルコフの「ウルガ」をみた時にも思いました。
作品の最大の見せ場はなんといっても「らくだの涙」シーンなわけですが、母子ラクダの熱演?はほんとに感動的です。子育てしないラクダの「音楽療法」というのは古くから行われているそうなんですが、どうして音楽を聴かせるとハラハラ涙をこぼしたり、子育ての効果があがるのかは分からないのだそう。監督のインタビューで「もしラクダが音楽を聴いても泣かなかったり、相変わらず赤ちゃんにお乳をあげたりしなかったらどうなっていたと思うか」なんて質問が出てましたが、その治療が効かないことはまずないと聞いていたから全く心配しなかったとのことなんですけどそれにしたって不思議。でも原因が分からないからこそみているこちらも感動が深いのかもしれません。
主人公の2頭に限らず毛足がもこもこした ふたこぶラクダちゃんたちがかわいいんですよ。一家がパオの中で飼ってる子ヒツジちゃんたちもかわいいんだけど、ラクダがとにかくかわいい!音楽を聴かせる以前に普段からしておっきな目がウルウルしてるのがポイント高いですね。ひいじいちゃんが映画の冒頭で意地悪な鹿にだまされるラクダの伝説を話してくれるんですが、それからしてもう泣けました。ほーっと一息つきたい時にまたみたい作品。きっとDVDでたら買います。
ちなみに字幕の監修をしたのが旭鷲山ってのにはビックリしたような納得したような。(@ル・シネマ)
原題:The Story of the Weeping Camel 2003年製作
監督:ビヤンバスレン・ダバー、ルイジ・ファロルニ(ドキュメンタリー)
出演:イフバヤルさん一家、インゲン・テメー(母ラクダ)ボドック(子ラクダ)
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