6/21/2024

ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ

 1972年11月早稲田大学でおきた革マル派による在学生リンチ殺人を振り返るドキュメンタリー。再現ドラマパートの演出は鴻上尚史。原案は同名の書籍(「彼は早稲田で死んだ」樋田毅 著)。
 自分が某大学に入学したのは80年代だけど、学生運動が活発だった時代が遠い過去になっていたその当時でもまだゲバ文字の立て看は記念館前や脇の方の何号館だったかの建物入口に並んでいたし、たまにヘルメットにマスク、グラサン姿の女子学生が駅周りでビラを配っていた。なんの活動をしているのか全くわからなかったし興味もなかったけど、今どき?とかなり驚いた記憶がある。その頃から変わらず学生運動のことは今もほとんど知識がないのだけれど、たとえ何かの記録資料を読んだとしても「革命のためであれば暴力は許される」というような言い分は全く理解できないだろう。
 そういう状況に放り込まれたら無意識のうちに同調的な暴力に支配されてしまうというのは、たしかに戦場だったり今どきならSNSの炎上と同じ心理・図式なのかもしれない。でもバットやら角材なんかで生身の人間を殴りつづけたならどうなるかなんて、子供にでもわかることだろうに。それに当時の大学側も日常的に起きていた暴力を見て見ぬふりをするなど、なぜにここまで無能・無策だったのか。ここで起きたリンチ事件があの浅間山荘事件よりもあとで、その後も何件も凄惨な暴力事件が起きていたり、しかも学祭の収入が流れるなど革マル派と大学当局の癒着が1990年過ぎまで続いていたなんて知らなかったしあまりに衝撃的だった。
 考えてみれば60〜80年代はイタリアやドイツでもテロなど若い世代の過激な活動があったけれど、内ゲバ的なものもあったのかもしれないけどは主な矛先は政治家や資本家だったように思う。だからマシだと言うつもりもないけれど、その違いであったり共通のものなどは調べてみたいが、やっぱり理解は難しいように思う。世界的暴力の時代。今も変わらないか。

 再現ドラマ部分の暴力シーンは正直直視するのがしんどかった。一番キツかったのはtoo muchすぎるノイズギターの劇伴。大友さんには申し訳ないけど耳をふさぎながら観てしまった。とはいえ当時を知る人々の証言パートは興味深く、やっぱり関連書籍を読もうと思った。
 またドラマパートを演じるオーディションで選ばれた学生たちが撮影前に池上彰氏のレクチャーを受けるシーンはやっぱり学生たちの質問だけでなく、騒乱があってから学内で何が変わったかと言えば教室の椅子や机が(バリケードなどに使われないように)床付された、とかおちゃらけたものだけでない、まともな氏の回答が聞きたかった。

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監督:代島治彦 2024年製作
(ドキュメンタリー)
2024.6.11鑑賞 @ユーロスペース


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