5/28/2004

永遠の語らい

 いたって「静」の作品なのに、ひと言でいってしまえば「動」というかかなりショッキングな作品でした。

ポルトからマルセイユ、ナポリ、アテネ、イスタンブール、カイロ、アデン…滅び遷ろった文明の遺跡を辿るポルトガル人の母と娘の旅。船旅の中で描かれるシーンは大きく分けて2つ。1つは訪れた各地で繰り返される娘の質問に丁寧に答えていく母親。「それは何」「どうして」、神話って何、文明って何、中世って何、戦争って何、どうして人は戦争をするの、というような誰でも勉強では習っているのになかなか言葉に詰まってしまいそうな基本的で抽象的な事柄をひとつずつわかりやすく説明していくところ。そして彼女もまた訪れた地で様々な人の言葉に耳を傾ける。

 もう1つは立ち寄った港から乗り込んできた美しい女性たち3人(C・ドヌーヴ、S・サンドレッリ、I・パパス、)と船長(J・マルコヴィッチ)がひとつのテーブルを囲んでやり取りする場面。フランス語・イタリア語・ギリシャ語と各々の母語で活き活きと自らの生き方や愛、同席した相手のそれに共感を寄せるそのテーブルはまるで女神の円卓のような、ユートピアのような。でも母子がテーブルに招かれ皆が英語を話すようになるとまるで雲で日がかげるように黙ってしまったり、悲しいつらい思い出を口に出すのはなぜなのか。唯一おしゃべりを続けていたのは「ギリシャ語は英語とたった1票の差で世界の共通語の座を逃した」と冗談交じりに話すギリシャ人の女優だけ。その対照的な表情の明暗。

 何が災いだったのかははっきりと明らかにされないものの「戦争とは大事なお人形を守りたいと思って取り合うようなもの」と話していた母娘にアデンの出店で買った人形を偶然とはいえ贈り、警報が鳴り響く客船から結果として乗客を避難させきれないまま先に下船し、予想もできなかった悲劇を為す術もなく見つめるしかないアメリカ人の船長。轟音が鳴り響く中、船を見つめる彼の表情に私たちは何をどう考えるべきなんでしょう。

 船が最初に立ち寄ったマルセイユの港で岸にとめてあるボートの舳先にロープの端をくくられているムク犬。波打ち際でボートが揺れるたびにキュンキュン泣きながら岸壁のギリギリのところで海へ落ちまいと足を踏ん張るその姿というのはあっというまに崩れ落ちてしまいそうな水際間際で何とか均衡を保っている今の世の中を表しているのかも。深い深い寓話を秘めた雄弁な作品だと思います。(@シャンテシネ)

原題:UM FILME FALADO 監督:マノエル・デ・オリヴェイラ 2003年製作
出演:レオノール・シルヴェイラ、フィリッパ・ド・アルメイダ、イレーネ・パパス etc.

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