自らの書籍の中でホロコースト否定派のイギリス人歴史学者アーヴィングに言及したアメリカ人の歴史学者であり大学教授のリップシュタットとその出版元のペンギンブックスがアーヴィングに名誉毀損で訴えられ、被告側が立証責任を果たさなければならない司法制度を持つイギリスの法廷で争うことになったという実際に1996年に行われた裁判に基づく作品。
実際に起きた歴史的事実を明らかな痕跡や証言者が存在しているにもかかわらず、ほとんど因縁に近いような理由をつけては否定しようとする輩はいるものだろう。日本だってそうだし、世界中どこでも程度はともかく自分の勝手な思いこみで事実を歪曲/曲解し、悪意のあるフェイクをしかけたり「自分は間違ってない」を通そうとする輩。それっていい迷惑に他ならないけれど、でも、その個人の極めて個人的な信条によるおかしな思いこみに対して社会はどの時点で、どこまで踏み込んで干渉できるのものなのか。もちろんその当人がいろんな媒体を使うなどして扇動的な行動を表だってとったなら、ちょっと待て、と言うことは容易だろうけれど、個人の心の中にある「小さな点」のようなもの、個人が信じ切っているものは少なくともその人物にとっては「嘘」とは言い切れないのではないか。「そんな考えは捨てろ」とか「そんなものは正しいわけがない」とどこから言えるものなのか。裁判の終盤で裁判官が口にするのはそういうことと自分は取ったのだけど、残念ながらなかなか一筋縄じゃいかないのかなとも思う。
おそらく(映画の中の)リップシュタットさんだって最初はそう思ったんじゃないかと思うけど「物証だって生き証人だって残っているのに、何バカなことぬかして。言語道断!」と感情的に反応することは誰だって出来る。でも小さな点を大きく自分のいいようにひしゃげて育ててきて盲信している相手に同じ勢いでぶつかっても向こうの理解は得られないし、逆にこちらが怒りを通り越して虚しい絶望しか抱けないかもしれない。事実を事実としてきちんと見つめて判断することって、簡単にできることのようで難しいこともあるのだろうなと思う。どうすればきちんと進むべき方向に向かうことが出来るのか。なるべく広い視野でいるためにはそれぞれが日頃から目を開き耳を澄ませているべきなのだろうけれど、そんな基礎をつけるにはやっぱり日頃の教育が大事、ぐらいしか思い浮かばないし………などなどぐるぐると未だ考えさせられている作品でありました。
法廷弁護士を演じたT・ウィルキンソンが特によかったですね。
原題:Denial 監督:ミック・ジャクソン 2016年製作
出演:レイチェル・ワイズ、トム・ウィルキンソン、ティモシー・スポール
@下高井戸シネマにて鑑賞
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