午前十時の映画祭でオリジナル公開時以来の『バグダッド・カフェ』鑑賞。完全版とのことだけど当時の細部をすでに覚えていなかったのでほとんど初見に近い感覚でみる粒子の粗いざらざらした画面。何もない砂漠の荒れ地のシュールなメロトロンっぽい色味にそれがはまっていて、ああこんな色だったよなあと思い出す。
物語は異文化を持つ中年女性2人の友情の物語とまとめてしまうのは簡単だけど、踏み出すこと、ってとても大事なことだと思う。
ドイツからの旅行者ジャスミンが言葉もかた言ぐらいしか話せないような土地にひとり残ってなんとかしようとするには、彼女にとって単純にイメージするところの得体の知れない人種だったブレンダたちの懐に飛び込んでいくしかないという後に退けない状況で、おっかなびっくりになるのは当然。でもせっかくのコーヒーをお湯で割った泥水みたいにして飲むような自分の知らない世界でも、バッハのメロディは奏でられ赤ん坊の泣き声に心がくすぐられるのは同じなんだと感じ、また一歩歩み寄ってみる。
ブレンダの場合は生活に追われ何とかしなくちゃと頑張り続けていくうちに「自分はこんなに頑張ってるのにどうして」とストレスつのらせる一方にどんどん傾いていったんだろう。自分の知らない対象に出くわして否定から入ったり知らんぷりするのは一番手軽な自己防衛の手段。自分でもマズイと気がついていてもついつい当たり散らしてがなり立ててはまた自己嫌悪に陥るという負のスパイラル。そこから抜け出すのってジャスミンの「出現」「降臨」といってもいい大きな存在に巡り会うことは1つのきっかけに過ぎなくて、やっぱり自分で踏み出して相手に近づいたからできたことだと思う。
それからの2人のマジックみたいな友情はどんどん周りを巻き込んでハッピーにしていくけれど、手品には何でも種があり、それは彼女たちの相手に対しての気持ちももちろんだけど、むしろ自身の心の持ちように他ならないんじゃないだろうか。
思い通りに行かない、気に入らないことがあってくて手近なところで呪詛をまき散らすのは最も楽ちんなストレス発散方法かもしれないけれど、それって直接やり取りしてるわけでもない単に通過して目にしてしまった人間も不幸にするわけで、そのへんはこれみりゃわかるよね、と思いもよらずとある具体例を思い浮かべてしまった再鑑賞であったのだけれど、2人が再会するセリフのない場面は好きだったことを思い出した。
Calling You を聴くと鼻の奥がつーんとする感覚を覚えるのは、カフェ一帯の乾いたどこか懐かしさを感じさせる寂れた風景と、互いに花を髪に挿して笑いあうジャスミンとブレンダの姿を思い出すからだった。
原題:Out of Rosenheim 監督:パーシー・アドロン
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