2/15/2005

エイプリルの七面鳥

 感謝祭の朝、初めてのローストターキーづくりに挑むエイプリル。それまで折り合いが悪くて長いこと疎遠だった母親がガンを患い、もしかしたらこれが家族そろって迎えられる最後の感謝祭。そんな食卓に彼女はボーイフレンドのボブと暮らすニューヨークのアパートに家族を招待したのだ。慣れない包丁に四苦八苦してようやくあとはターキーを焼くばかりになったとき頼みのオーブンが故障。普段はつき合いのないアパートの住人たちの手を借りながらなんとかターキーと付け合わせをつくる。

 そんなエイプリルの所へ車を飛ばしてやってくる家族。パパは思い出を作ろうと懸命だけど喪服のような黒いワンピースを来た母親ジョイをはじめ、みんなノリが悪い。なんども途中で車を停めながら何とかエイプリルのアパートにたどり着いたものの一家はタイミング悪くエイプリルの元彼一味に袋だたきに合い悲惨な容貌になったボブの姿を見ると恐れをなして車を出してもと来た道を引き返す。やっぱり来たのは間違い?…はたしてエイプリルはママにターキーを食べてもらえるのか

 家族に迷惑ばかりかけていたエイプリル。母親のために初めて料理しようという気になったところから始まって、周りの人と関わり合いを持っていくうちに彼女の心の氷は溶けていくけれど、頑ななのはジョイのほう。まずい料理を食べさせられたらナプキンつかってはき出してやると毒づいたり、どうせ食べられやしないものを出されるんだから先になんか食べとこうとお菓子やファストフードを調達したり、手術で切り取ったはだけた胸の写真をみせたり自暴自棄になってる。ただでさえ死がすぐそばに感じられるのにこれ以上嫌な思いも怖い思いもしたくないとエイプリルに会うことを躊躇う。病気なのは分かるけれど精神的にも一番病んでいたのは彼女かも。

 エイプリルにまつわるいい思い出なんてたったひとつしかないといった時に(その時思い出した事柄は次女の思い出だったと分かってまた彼女はガッカリ、観てる我々はプププと思うんですが)おばあちゃんがひとつでも十分とぽつんとつぶやくんだけど、アパートの前から逃げるように車を出して、やっぱり何ひとついい思い出なんてなかったと半ばあきらめてダイナーのトイレに入った時に目にする光景。トイレに入っている母親と小さな女の子。早くしなさい、と小言を言って出ていく母親をタイツを半分降ろしたまんまで引き留めようとする女の子。そんな光景を目にして彼女はいまじゃ跳ねっ返りのエイプリルが小さな頃、おそらく彼女のあとをくっつていてきた頃の小さなエイプリルの姿を思い出したんでしょう。思い出は何気ないもの一つで十分。氷の破片が目の中に入ったまま まわりが見えていなかった彼女にいきいき血が通ってくるここの場面はすごく心に残りました。

 テーマが重くてお涙頂戴がちになりそうなところを、ほどよく適度にまぶしたユーモアやときどききゅんと締め付けられるような家族であったり人と人とのつながりの描き方になんとなく「死ぬまでにしたい10のこと」を思い出しました。言葉やらドラマを全部映してみせて説明するよりもスナップ的な絵を挿入したり、肝心な場面を省略することで何が起こったのかさりげなくわかる無駄のない映像もすがすがしい感じがしました。

 エイプリル、ジョイはじめ家族の面々まで配役が絶妙でしたけれど、P・クラークソンはさすがにこれでオスカーにノミネートされただけあってうまかったですね。特に↑のトイレの場面。「The Station Agent」でもそうでしたけれど、この人こういう役がホントにうまいです。あとついこの間まで、といってもだいぶ前だけど、どっちかといえばうまいけど冴えないイメージだったO・プラットがもう年頃の子供たちの父親役やってるのになんかしみじみ。

いい話でした。

原題:PIECES OF APRIL 監督:ピーター・ヘッジス 2003年製作
出演:ケイティ・ホームズ、パトリシア・クラークソン、オリヴァー・プラット
@渋谷シネパトス


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