9/27/2024

サミー・ヘイガー


 サミー・ヘイガー and Friendsみたいな感じだけど、ライブを観てきた。メンバーはベース:マイケル・アンソニー、ギター:ジョー・サトリアーニ、公演発表時の予定ではドラムにジェイソン・ボーナムだったのだけれど、全米公演中に母上が急病となり代わりに抜擢されたのがケニー・アロノフ、キーボードにはギターほかマルチにこなすレイ・シッスルウェイトが参加。

 ひとこと、すっごくいいライブだった。曲はサミー時代のヴァン・ヘイレンを中心に、「I Can't Drive 55」や「Heavy Metal」などソロの代表曲やデイヴ時代からは誰もが大好き「Jump」に「Panama」とヒット曲ほぼ満載。モントローズもやるかな?と思ってたけどそれはなし。とはいえこれだけやったら贅沢は言わない。VHのヒット曲ってどれもキーが高めだけれど、サミーの声はびっくりするほどよく出ていた。やっぱり曲の合間にテキーラやら缶ビールばかすか飲んでたのが喉に良いのだろうか(笑)。で、マイケルのこれまたハイトーンのコーラスが全然変わらないのも驚かされた。そしてサトリアーニのエディ味あふれる丁寧なギターソロパートには感動すら覚えたり。もちろん彼の「Satch Boggie」が最高なのは言うまでもなく、何でもできちゃう器用なプレイヤーだなと改めて思う。まさに「エイリアン」。

 でもこんなに楽しい生音に浸りながらもふと想い馳せることをやめられなかったのはエディのこと、かなやっぱり。開演直前の場内BGMで突然「Dreams」が流れたときの盛り上がりにギターソロのパートで場内のボルテージが「うぉーーー!」っと一段上がったときマジ泣きそうに。そして本編Panama(←サミーはデイヴ時代の曲で一番好きと言っていた)のあとにいきなりきた「5150」のイントロでボロボロ涙がこぼれてしまった。わたし、エディを観たのは最後の来日公演の2013年(メンツはベースでウルフィーが参加したVHファミリー&デイヴ)だけなのでその時のセットリストにはサミー時代の曲は入っていなかったからね。後期の曲ではこれのギターが一番好きだし、うん、聴きたかったなあと。それからサミーが舞台袖に下がってマイケルが Ain't Talkin' bout Loveをフルで歌ったんだけど、例のHey! Hey! Hey!の合いの手で For Eddie!(エディに届くように!と理解)って叫んでて、これにはまたボロ泣きした。あとでSNSにスタッフさんのミキサー機材にエディの写真を貼ってあるのが投稿されてたのを見て帰宅後も泣いてしまったよ。サミーは今日のステージはCeleblationといってたけれど、30年近くぶりにやってきた日本でいろんな意味のCeleblationの場を設けてくれたのかもしれない。

 そんな具合で何度も涙腺が緩んてしまったのだけれど(って最近こんなことばっかりだ)とにかく、導入Dreamsから客出しのLove Walks Inまでとてもとても大満足だった一夜。サミーはテキーラのプロデュースも手掛けているらしく、なるほどどおりで飲みまくってたはずだわーと納得だったけれど、お酒はほどほどに楽しみつつも、ずっと元気で盟友のマイケルと一緒に活動を続けていってほしい。

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2024.9.23 @有明アリーナ


9/22/2024

シュリ


 昨年の東京国際映画祭で同映画祭での初上映から24年ぶりに4Kデシタルリマスター版が上映されたのに続き、嬉しい劇場でのリバイバル上映。

  2002年のワールドカップ開催に向け南北の融和の機運に湧くソウルで、多発する要人暗殺の犯人と目される北朝鮮の女スナイパーを情報機関捜査員チームが追う。やがて北朝鮮の特殊部隊による大掛かりなテロ事件が計画されていることが判明し、ソウルに潜入した部隊と捜査チームとの攻防が始まる。 
 それまでのコリアン・ムービーのイメージを完全に変えたと言っていい、アクション娯楽大作。というか、テレビが冬ソナなら映画の韓流火付け役はこれだと断言しても過言ではないだろう。 映画祭での上映時には最初から最後まで大わらわもしたけれど大盛況&その後の興行でも大ヒット。南北の分断をベースに友情、アクション、そして悲恋のドラマに最後までぐいぐい観せられる。クライマックスに登場する南北のサッカー親善試合のシーンは韓国VS中国の親善試合の模様を使用しているそうな。

なんてことを以前書いたけど、今回見直して改めて今の韓国映画ブームの原点だろうなと思った次第。今回のパンフレットに公開時の宣伝担当さんが書いていたけれど、それまでの韓国映画で入ってきている作品といえば硬めのシリアスドラマやちょいエロス路線売りみたいなものが多かった。映画祭でもアン・ソンギの歴史ドラマとか少し前のコンペに入ってたり「シュリ」ロードショー公開時の2000年にはポン・ジュノやホン・サンスの初期作品もコンペなどで上映されるようになっていったけど、あの当時ここまで大掛かりな、ハリウッド映画並のアクション大作ってものすごく新鮮だったし、手放しで興奮した記憶がある。役者さんたちは言わずもがなの今や韓国の映画界を代表する名優揃い。手に汗握ったり、ぐっと来るような展開があったり、様々な要素がぎゅっと詰まっていて、やっぱ面白いよなと初見時にもまして楽しめた大スクリーン再見だった。
 長い間権利関係がクリアにならずにリバイバルも難しかったというけれど、こうしてまた観られるようになって本当によかった!

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原題:쉬리(英題:Shiri) 監督:カン・ジェギュ 1999年製作
出演:ハン・ソッキュ、キム・ユンジン、ソン・ガンホ、チェ・ミンシク、パク・ヨンウ、ファン・ジョンミン
2024.9.17再見 @グランドシネマサンシャイン池袋
1999年 第12回東京国際映画祭, 2023年第36回東京国際映画祭上映作品

9/17/2024

夜の外側 イタリアを震撼させた55日間


 1978年にローマでおきたアルド・モーロ誘拐殺人事件をモーロ自身と妻、党で親しくつきあっていた内務大臣、ローマ法王、そして誘拐を引き起こした赤い旅団の女性闘士と多面的な視点から6話構成で描き出した作品。

 ベロッキオのモーロ事件を描いた作品というとマヤ・サンサ演じる旅団の女性闘士の目線から描かれた、開放されたモーロの散歩というファンタジックな演出も印象的だった「夜よ、こんにちは」があったけれど、今回ものっけからそれに近い。幽閉から開放されたモーロの病室をアンドレオッティ、ザッカニーニ、そしてコッシーガという政権の主要人物が訪ねベッドを覗き込む前で、モーロは涙を浮かべ「これでもう党のあらゆる役職より身を引くのだ」とモノローグで語られる。以降時計の針を戻し、内閣の発足前から誘拐、各々がモーロ救出へ向けて尽力は尽くすものの、何かしらの忖度や突き抜けられない壁が横たわり、事を進められずうやむやにすまされていく様子が描かれる。そのやり取りを通じ、最終章でモーロが幽閉先に目隠しをして連れてこられた神父に感情を吐露するシーンを目撃した後、繰り返される冒頭のセリフはずいぶん意味合いが違って聞こえてくる。イタリア社会にとっては壮大な徒労に終わってしまったと言ってもいい、悔やんでも悔やみきれない悔恨なのだろうなと。

 そんな自国の現代史の闇を力強く描ききれる映画作家、演じる役者たちの存在はとても眩しく見える。

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原題:Esterno Notte 監督:マルコ・ベロッキオ 2022年製作
出演:ファブリッツィオ・ジフーニ、ファウスト・ルッソ・アレージ、マルゲリータ・ブイ、トニ・セルヴィッロ、ダニエラ・マラ
2023.5.7 イタリア映画祭2023(映画祭タイトル「夜のロケーション」)
2024.8.28 @Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下 再見


9/16/2024

自由の暴力

 見世物小屋で芸人をしていたフランツはロトで大金を手にし、やがて知り合った印刷会社の息子オイゲンと一緒に暮らすようになるが、オイゲンの目当てはフランツの金だけ。経営破綻寸前の親の借金を立替えさせ、贅沢な住居への引っ越しや劇場通いにモロッコへの旅行などすべて資金はフランツ持ち。結局いいように利用され、捨てられた挙げ句すべてを失ったフランツは病を得て野垂れ死ぬ。倒れたその場に居合わせた少年に所持金や腕時計までむしり取られて。
 踏んだり蹴ったりどころではない目に遭わされても愛ゆえに相手を信じてしまうフランツがひたすら気の毒でしかないのだが、大胆でふてぶてしい外見にどこか繊細な心を持ちときには友人の肩で泣き崩れるキャラを自ら演じるファスビンダーがときに可愛らしくも見えてくる。この路線どこかで、と思わないでもないけれど、ハンナ・シグラ除くいつものファスビンダー組揃い踏みのせいだろうか。
 冒頭のクレジットに恋人アルミンらへの献辞があって、二人の間に劇中ばりの悲劇が起きたのはいつだっけ?と思いながら観たけれどこれよりも4,5年後のこととのこと。
そしてここでもレナード・コーエンなど劇中歌が効果的。

原題:Faustrecht der Freiheit 監督主演:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
1974年製作 旧題:自由の代償
出演:ペーター・シャテル、カール・ハインツベーム、クリスチアーネ・マイバッハ
2024.9.16 @Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー傑作選2024

9/15/2024

ピロスマニ


 ジョージアを代表する画家ニカラ(ニコ)・ピロスマニの半生を描いた作品。親を早くに亡くし世話になった家を出て以来、放浪生活を続けながらも立ち寄った村の酒場に絵を描いて残し酒と食料にいくばくかの金を得るというこぢんまりと生きてきたピロスマニ。あるときそれらの絵が酒場を訪れたロシアの画家の目に止まったことで、彼の絵と存在が世に広く知られることになるのだが…。

 代金がわりに描いた絵が村の各居酒屋の壁を飾り、村のコミュニティの中でニカラを認めていった人々が、そこに外部の目を浴びひょっとして金になると期待し、芳しくない批評をうけると総スカンを食らわせるさまが、いかにも人って…と思わせる。他人との交わりに次第に変化していくピロスマニの視点。
 劇中に登場する平面的・素朴な画風でユニークなピロスマニの絵画も目が惹きつけられるけれど(牛やキリンが特にいい)、それらが動いている?と思えるほど映し出される劇中の風景、アート、カメラワークがどこを切り取っても絵画のようにとても美しい。寓話的な物語とすべて相まって印象的だ。

原題:PIROSMANI 監督:ギオルギ・シェンゲラヤ 1969年製作
出演:アフタンジル・ワラジ、アッラ・ミンチン、ニノ・セトゥリーゼ
2024.9.15鑑賞 @ユーロスペース
ジョージア映画祭2024にて

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